辞典で暇つぶし

辞典と図鑑が大好きです。

〔ウミケムシ〕

2022年02月07日の朝、ネットニュースで読んだ話題。

海釣りで釣り上げられる激キモ系の生物ウミケムシ。ミミズやゴカイ、イソメと同じ環形動物に分類される。外見がキモいだけに留まらず、側面にはえる剛毛に素手で触れると、毒針となっているその剛毛から毒を注入されるので要注意生物なのだという。

そのニュース記事でのウミケムシの分類学的位置の書き方、“環形動物門ウミケムシ科”がまず気持ちが悪い。これでは例えば“節足動物クワガタムシ科”と言っているのと同じ書き方で、“昆虫綱”とか“鞘翅(甲虫)目”とかに相当する部分が欠落しているからだ。

そんなワケで『Wikipedia』で〔ウミケムシ〕を引いてみると、冒頭の解説がそのニュース記事にそのまま使われているようだ。すなわち、分類学的位置である“多毛綱”を(意図的かどうかはさておき)無視している。マイナー生物の宿命であろうか(笑)。下位の分類はウミケムシ目ウミケムシ科であるから、私のような面倒くさい性格の人間以外はスルーするのだろう。“多毛綱”かどうかを気にするのは分類学者くらいかもしれない。

さて、今度はその『Wikipedia』における〔ウミケムシ〕の記述。冒頭に代表種として和名が挙げられているのは以下の4種。

①ウミケムシ
②ハナオレウミケムシ
③セナジリウミケムシ
④セスジウミケムシ

これらの種の学名を本文中で確認してみると、
①Chloeia flava
②Eurythoe complanata
③Notopygos gigas

あれ?④のセスジウミケムシだけ学名の記載がない……?というワケで『Wikipedia』以外の生物系のページを何ヵ所か検索してみたが大概のページは『Wikipedia』の冒頭と同じ種を和名で代表種として挙げているのみ(多分記事の引用元がその『Wikipedia』だから)で肝心の学名は記載なし。

困ったものである。セスジウミケムシとやらが代表種とされているのなら学名くらい載せて下さいな、『Wikipedia』さん。

先程のニュース記事に話を戻そう。

ウミケムシの剛毛によって注入される毒物はコンプラニンというらしい。『Wikipedia』でのウミケムシの項目ではこの単語には言及されていない。あまり耳にしない物質名なのでとりあえず綴りをネット検索で確認してみると、
〔complanine〕
であるようだ。ん?これはひょっとしたら……
前述の②ハナオレウミケムシの学名である
Eurythoe complanata
の種小名の部分が名前の由来かもしれないと再度ネット検索をしてみると、ビンゴ。語源は簡単に解決した。
皮膚に炎症を起こすものの死に至るレベルの猛毒ではないようだ。もちろんわざわざ素手で触るような無用心な行為は慎むべきだが。

さて再度『Wikipedia』に戻って今度は英名。

ウミケムシの英名は〔fireworm〕とある。
マイナー生物のくせに英語だとありふれた呼び名だなぁ、というのが率直な感想。比較的メジャー生物であるヒアリの〔fire ant〕やホタルの〔firefly〕ならば実際の姿を脳内に思い描けるのだが……。毒を持つ剛毛で刺すのであるから、fire antの〔fire〕と同じ感覚の命名なのだろうと推測してみた。
で、〔fireworm〕をネット検索。

ウェブ英和辞典『英辞郎』の記述は、
①クロネハイイロヒメハマキの幼虫
=cranberry worm
②ツチボタル
=glowworm

あれ?肝心のウミケムシはどうした?
①はハマキガ科の蛾(害虫)かな?
それに、②の〔glowworm〕って洞窟内に生息する特殊なハエ類の幼虫(闇の中で発光する)だと記憶しているが、ツチボタルって何?

今度は〔glowworm〕をネット検索。概要は
Arachnocampa(ヒカリキノコバエ属)の幼虫;
オーストラリア、ニュージーランドに分布す
る双翅目キノコバエ科の昆虫。
であろう事は予想していた通りだったが、一方の〔ツチボタル〕という和名は
Pyrocoelia(マドボタル属)の幼虫と雌;甲虫目
ホタル科の昆虫。
をも指しているようだ。学術的な標準和名なのではなく通称・俗称の類いだろう。
検索しているうちに環形動物のウミケムシから昆虫へとシフトしてしまった。そもそもの話題は釣り関係の記事だったはずなのに。

結局、firewormが本当にウミケムシの英名なのかどうかは『英辞郎』では不明。
英語版の『Wikipedia』でウミケムシ科の一種の解説文にfirewormという語が使用されているので多分間違いないだろう。
頑張れ、『英辞郎』さん!
なお、確認のために引いてみたのだが紙の辞書である『新英和大辞典 第5版』(研究社/1980)には〔fireworm〕の項目はない。

閑話休題
最初に〔ウミケムシ〕を『Wikipedia』で引いた際の疑問“セスジウミケムシの学名は?”を解決しようと手持ちの図鑑や解説書を集めてみた。

★参考文献リスト
①『日本海プランクトン図鑑』
保育社/1966
②『海藻・ベントス』
東海大学出版会/1976
③『原色日本海岸動物図鑑 改訂第3版』
保育社/1979
④『生物学辞典 第3版』
岩波書店/1983
⑤『フィールド図鑑 海岸動物』
東海大学出版会/1986
⑥『魚の事典』
東京堂出版/1989
⑦『山渓Field books 海辺の生きもの』
山と渓谷社/1994
⑧『山渓Field Books サンゴ礁の生きもの』
山と渓谷社/1994
⑨『世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物
平凡社/1994
⑩『海洋生物ガイドブック』
東海大学出版会/1999
⑪『猛毒動物の百科 改訂版』
データハウス/1999
⑫『図説 魚と貝の事典』
柏書房/2005
⑬『水産無脊椎動物学入門』
恒星社厚生閣/2006

(煩雑回避のため著者名は省略)

ウミケムシ(とその近縁種)の学名が載っている可能性がありそうな本は手持ちは以上13冊。学名である事を考慮してこれらにプラスして
⑭『世界大百科事典』
平凡社/1972
⑮『世界大百科事典』CD-ROM版
平凡社/1998
⑯『動物たちの地球』(週間朝日百科)
朝日新聞社/1991~1994
を準備した。

①記載なし
②記載なし
③☆
④ウミケムシのみ
⑤記載なし
⑥記載なし
⑦☆
⑧記載なし
⑨記載なし
⑩記載なし
⑪記載なし
⑫記載なし
⑬記載なし
⑭ウミケムシのみ
⑮ウミケムシのみ
⑯ウミケムシのみ

③の図鑑は初版発行年はかなり古い(1956)が手持ちの本は改訂第3版(1979)。ウミケムシ類がちゃんと載っている。記載されている種は
・ササラウミケムシ
・ウミケムシ
の2種。
⑦の図鑑は小さいながらも1,100種類以上の生物が学名付きで載っている生態写真図鑑。記載されている種は
・ウミケムシ
・ハナオレウミケムシ
・ケハダウミケムシ(ケハダウミケムシ科)
の3種。

学名こそ載っていないが、手持ちの
⑰『海の危険生物ガイドブック』
阪急コミュニケーションズ/2004
では生態写真付きで
・ウミケムシ
・セナジリウミケムシ
・ササラウミケムシ
の3種が掲載されている。

そして結論。
セスジウミケムシの学名は不明。
さすがマイナー生物!

なお、私が勝手に参考文献として挙げた“記載なし”の上記の本は、ページ数の制限があったりそもそものコンセプトが違っていたりするので、決して貶めたり批判したりする意図はない事を明言しておく。あくまでも〔ウミケムシ〕に関しては記載がないというだけの話だ。

*どなたかセスジウミケムシの学名を御教授戴けたら幸いです。
2022.02.09.
2022.02.10(一部加筆)